卒業 サヨナラの意味

2024/03/07

卒業おめでとう。
なぜ、卒業という区切りがあるのか?
なぜ、サヨナラを繰り返すのか?

世間、街中では、卒業式が行われ、
卒業のムードが広がっていますね。

幼稚園から小学校の時は、
大変な思いをした記憶しかなく、
家族など周りの大人たちが、
ランドセルを買ったり、
いろんなことで騒いで楽しんでた感じで。

小学校から中学校の時は、
通う学校の場所が変わるだけな感じで、
同じ小学校の子とは、また会うし、
新しい小学校の子が、どんな子か。
小学校の延長線でしかなかったので、
何でそんなに泣くの?
という冷めた目で見ていて。

中学校から高校の時は、
嫌な中学校生活とはおさらばできて、
入試があったけれど、
行きたかった高校に何とか合格することができて、
ワクワクしてて、
別に、嫌な奴らとサヨナラできてうれしくて。

高校から大学の時は、
高校でのことが良くも悪くもバランス良くあって、
高校を卒業する寂しさはあり、
だけど、ここを卒業して、次のステージに向かう。
という右肩上がりの意識高い上昇志向に
ハマってたから、スッキリ、あっさりしてて、
大学に行くことだけ考えてた。

大学から大学院の時は、
大学の時の親友がいたから何ともなかったけれど、
卒業式で、みんなに会えなくなるんだなと思うと、
寂しい気持ちはあったが、謝恩会の後に、
夜中ずっと居酒屋やカラオケに行って、
騒ぎまくっていたし、
卒業式後、下宿などを引き払う子が多かったので、
特に何かをしたわけじゃないけれど、
学内で、セミナーの仲間たちと集まって、
語ったり、してたかな。
ホント、良い人に恵まれて、友達も増えた時だった。

大学院から専門学校の時は、
大学院の指導教授と親父への感謝が強かった。
自分が着た卒業式のガウンを親父に着せて、
親父は、大学に行けれなかったけれど、
大学院を学長表彰で修了した息子を育て上げたのだから、
親父の功績でもあると、親父に感謝して、称賛した。

専門学校は、国家試験をドロップアウトしたので、
卒業式は無いけれど、中退する人の気持ちが痛いほど
わかった。

中途で第二新卒で、会社員になって、
それを転職する時に、送迎会なんでものも無いし。
自分で、卒業の時期を決めて、辞めていたのはある。

今、していることに、卒業はあるのか?

私は、使命に従い、自分が歩む道を歩んでいる。
ステージが上がって、環境が変わるかもしれないが、
やることは、変わらない。
だから、ある意味、卒業は無いと言うか、
卒業の可能性は低いと思っている。

卒業

学校を変わっていくことは、
国が決めた通過儀礼だから仕方がない。

中高一貫、小中高大のエスカレーター校は、
また、感覚が違うのかもしれない。

幼稚園の時は、自我が芽生えてないから、
意識しても理解できなかったと思うが、
小学校の時には、認識できるし、
意識的に対応をして、その状況は理解できる。

つまり、人為的に、大きな環境変化を起こし、
その環境変化に対応できるように、
毎年のクラス替え、担任替えで慣らしながら、
最終学年の卒業式で、本気の別れと大きな環境変化を
法に基づく制度、国家権力で、
強制的に体験させて、
学ばせるシステムでしかない。

本当に通過点、通過儀礼なんだ。

それを、中学、高校、専門学校、大学と
その学ぶ環境にいる分だけ経験する。

変化に柔軟に対応できるものが生存できて、
この世の勝者、人生の勝者なのだから。

その時の出会いに意味があり、
学校時代の同級生は、嫌な奴ばかり、
友達のフリして、陰口を叩き、悪い噂を流し、
いじめられるように仕向け、いじめを正当化する、
人のものを奪い、隠し、困らせ、落書きなどして、
教科書などを使えなくしたり、
学校の備品をわざと壊し、脅す。
また、その罪を擦り付ける、クズどもの集まりだった。

その中でも、お互いに尊重し合える友達、仲間もできた。

究極的にワルな奴らのおかげで、
苦しめられたネガティブな思い、
感情、記憶からの回復させることや
自分の人間関係、コミュニケーションについて、
良好なものにしようとする努力にもつながったし、
そんな奴らに関わらないことにもなっている。

強制的な卒業のサヨナラは、

強制的な入学で押し付けられた人間関係を
解消するものでもあるが、
その時空に存在したエネルギーの分だけ、
愛着が強いもの、楽しい思い出を手放すのに、
大変な思いをして、怒りと悲しみを覚えて、
別れの寂しさを乗り越え、
決別する覚悟を受け入れなければならない。

あなたも卒業することで、

・新しく入学した環境になじめず、
卒業した学校の思い出や環境を引きずってしまうとか。

・新しく入学した環境でうまくやるために、
卒業した学校での嫌なこと、ネガティブな思いや感情、
トラウマを解消したいとか。

・新しく入学した環境で、
自分のポジションを良好なものにしたいから、
人間関係やコミュニケーションについて、
取り組んで行きたいとか。

・学生から社会人になっても、
卒業した学校のことで、いろいろ思考、感情、行動に、
影響が出ていることを整理したいとか。

いろいろな思いがあるだろう。

それは、
あなたに限らず、皆、9年以上の義務教育を含めた、
教育を受けているわけだから、
そこでの教えや教えから得て、
自分の中で作られた価値観で、
社会に出て不都合が起きているのが真実であるし、
まったく影響がないわけではない。

そこをスムーズにし、あなたの個性、自分軸を取り戻し、
生きやすくしていくリハビリが必要である。

それを社会人になって、楽しみを見つけ、
自力でやれるならいい。

けれど、その指針もガイドラインもマニュアルも無く、
一人でやろうとするのは無謀だとも言える。

そのために、
私たち、心理カウンセラーがいる。

そして、思考と感情を解放し整える、
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心理カウンセリングを受けるほど、
精神を病んでないです。

それは、そうです。

けれど、そんな重症者だけが受けるのが、
心理カウンセリングではないです。

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あなた自身の当たり前を疑い、
本当の意味で卒業をする為に。

サヨナラに強くなれ。

なみのりふね名古屋いまいけ
施設長 森