魂が見せてきた、記憶のかけら
本人が忘れていても、魂は知っている
先日のZOOM交流会で出会った女性と
スピリチュアルの話をする中で、
彼女が幼少期の記憶について話し始めた。
内容は、はっきりしていない。
彼女自身も、「なんとなく…」という感じだった。
彼女にとって、厳しい現実、見たくないもの
見たら心が壊れそうなものは、
無意識がかなり強くブロックして、
本人に見せないようにしている。
だけど、僕の中では不思議なことが起きた。
彼女の話を聞いているうちに、
その出来事の場面が“ぼやん”と浮かんできた。
噴水、公園、・・・。
彼女はしゃがみこんでいた。
羞恥と、混乱と、言葉にできない感情。
僕の目の前に、
その場面の空気が流れ込んできた。
そして僕は、確信した。
彼女が覚えていないようで、
魂はすべてを知っている。
これは、
僕がセッションの中でよく体験することのひとつ。
相手の語らない感情や、
言葉にできない記憶や、
封印されていた魂の映像が、
僕の中に“共鳴”として流れ込んでくる。
僕はそれを「フュージョニング」と呼んでいる。
融合する、という意味だ。
本人の許可なく、記憶を見ることはできない。
でも、魂が“もう癒されたい”と願っているとき、
その映像はぼんやりと、でも確かに姿を現す。この現象は、
言葉や分析では届かない深層の癒しを起こす。彼女がその場面をはっきり思い出さなくてもいい。
僕がその記憶に共鳴し、
「わかってもらえた」と魂が感じることで、
その傷は、静かに癒えていく。
僕はセッションで、
「何かを直す」ことをしているのではない。
ただ、
魂が見せてきたものに付き合い、共に感じる
だけだ。
それだけで、
長く閉じ込めていた記憶のかけらは、
もう怖くないものへと変わっていく。
もし、あなたの中にも
「うまく言えない記憶」や
「輪郭だけ残った感情」があるなら、
それは魂からの“癒しのサイン”かもしれません。
記憶を思い出す必要はありません。
ただ、今のあなたが「向き合いたい」と
思ったその瞬間から、
魂の再生は始まります。そんな時は、
どうぞ「なみのりふね名古屋いまいけ」に
お越しください。
僕はただ、
あなたの魂が見せてきたものに寄り添います。
なみのりふね名古屋いまいけ
施設長 森