20代の頃からを振り返り、人生を反省する その5

2020/08/24

妻が仕事中にくも膜下出血を発症
緊急搬送→即集中治療室へ


この話は、下記のブログが始まりの〝続きもの〟です。
読んでいない人は先にお読みいただくと話がよりわかります。

妻が突然、くも膜下出血を発症し緊急入院した。

主治医によると、容体は安定しているものの
急変する可能性も捨て切れないとの診断。

もう天に祈るしかない。

病室に行くとたくさんの管に繋がれた妻がいた。

もちろん話すことはできない。

とんでもない状況ではあったが、自分としては意外に冷静だった。

ここで取り乱してもしょうがない、となぜか落ち着いていた。

実際、騒ごうが泣こうが、妻の状態が変わるわけではない。

とにかく大丈夫と言う診断が出るまで、
そばにいなければとだけは思って、じっと見守っていた。

しばらくすると妻の両親も到着し、現状を話し一緒に見守った。

持ち前の強運で一命を取り留める

今回、こんな緊急事態だったが、
運の良いことが続いていたことに気づいた。
 

くも膜下出血は寝ている時に発症する人もいる。
そうなると、気づいた時には亡くなっていたり、
大きな後遺症が残る場合が多い。

1秒でも早く治療しないといけないからだ。
 

もし、この日自分が仕事で、妻が休みで家にいたら、
何もできずに自分が帰宅した時に亡くなっていたかもしれない。
だから仕事があってよかったのだ。
 

この日の妻は、イベントの司会の仕事だった。
 

某有名な演歌歌手の歌謡ステージと漫才がセットになり、
午前と午後の2回行われるイベントだった。
 

妻は午前中、
すごく頭痛がすると言いながらなんとか乗り切ったらしい。

が、お昼のお弁当を少しつまんだものの、
すぐに吐いてしまうほどで、
これはおかしいと思った担当ディレクターが、
病院に行ったほうがいいと指示を出し、救急搬送されたのだ。
 

この日のディレクターは私たち夫婦ともに気心の知れた人で、
俗にいうとても仕事のできる人だった。
さらに、このディレクターは司会も出来る人だったので、
妻を病院に行かせたとしても
自分がこの後のステージ進行をすればいい、
と判断して病院に行かせたのだ。

この日、このディレクターでなかったら、
もしかして無理して妻にそのまま司会をさせて、
大変なことになっていたかも知れない。

また妻のことをよく知っているので、
普段から責任感の強い彼女が弱音を吐くほどの状況は
ただ事ではないと、すぐにピンときたようだ。
 

また当日連絡をくれたこの日のプロデューサーでもある支社長も
この状況をすぐに察知し、
午後の部は慣れないディレクターの仕事を代わりにしてくれたようだ。

でもそんな頼りがいのあるスタッフが当日一緒だったことが、
何よりも強運だったと言える。

当日は土曜、病院は休診日。

強運な話は続く。
 

この日は土曜日で病院は休みだった。
とは言え、救急なので病院にはもちろん行ったのだが、

なんとこのイベントが行われた会場のすぐ隣が市民病院だったので、
すぐに搬送することができ、
さらに土曜日なのに脳外科の先生が勤務していたのだ。

だからすぐに適切な処置ができて、
とりあえず容体が安定したのだと思っている。
 

つまり全てをいい方に考えれば、こんなに条件が揃っていたのだ。

・寝ている時に発症しなかった

・1人で家にいる時でもなかった

・出来るスタッフが適切な判断をした

・救急病院の隣にある会館で発症した

・脳外科の担当医が休みなのにいた
 

妻は血管の奇形を持っていたので、
生きていればどこかで発症した可能性が高い。
それが一番助かる可能性が高い 日と場所で発症したのだ。
 

なんと言う強運の持ち主なんだろう。
 

そう思うと同時に、妻は助かるんだろうな。
と、根拠のない自信が芽生えた。

ここまで条件を揃えてもらったのに、助からないわけがない。
さらに、発症前と何も変わらない妻に戻るのだろうと信じることにした。

 

ところで、私がどうなったかとういうと、

病院から自宅までは2時間なので、会社に通うことは現実的ではない。

と言うことで、会社から特別な措置をいただいた。

当時いくつか持っていたレギュラー番組の中の
金曜日のワイド番組だけは会社に行き仕事をしたが、
それ以外は休みにしてもらい、
病院に寝泊りすることになった。

正社員だったら、問題なくそんなこともできただろうが
自分は契約社員だ。

とは言え、こんな想定外のことが起こるとは考えてもいなかったので
契約の就業規定にも細かい取り決めがなかった為、
会社が温厚な判断をしてくれたのだ。

それに週休6日にも関わらず、
給料は満額いただけたのも本当にありがたいことだった。

会社の方には足を向けて寝られない、と心から思った次第である。

妻の状態は安定したまま

根拠のない自信の通り、妻が急変するようなことはなく、
会話もできるようになり時はゆっくり過ぎていった。

そして2ヶ月もしないうちに
手術のため県外の大きな病院に移ることになった。

妻の脳の中にある血管の奇形部分をレーザーで焼き切る
と言う手術だったのだが、
当時はまだ、その処置ができる病院が数えるほどしかなかったので、
転院することになった…。


 

そして、もちろん手術は成功し、
20年以上経った今も妻は元気にしている。

手術後はしばらく耳鳴りがずっとしていると言っていたが、
今ではそんなこともなく、スポーツも始めるなど極めて元気だ。

彼女の生命力の強さには本当に驚く。

そして、命が繋がったことで、
彼女にはさらなる過酷な使命が訪れるのだが、

続きはその6で!

 

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