20代の頃からを振り返り、人生を反省する その8

2020/08/31

県内初のコミュニティFM開局!
最高のスタートを飾ったが...


この話は、下記のブログが始まりの〝続きもの〟です。
読んでいない人は先にお読みいただくと話がよりわかります。


時は2001年、
あんなに入りたかった放送局に勤めることができたのに、
辞めることを決意した。

それは、人間関係の悪化が大きかったと思うが、
新しいことに挑戦してみたい
という気持ちが強くなったことが最大の理由かも知れない。

 

でも地方というのは基本的にフリーのタレントさんであっても、
どこかの局で仕事をしたら、
それ以外の局にはほぼ出られなくなるという暗黙の了解がある。

つまり今の局を辞めて、他に移るなんてことも、
普通はあってはならないこと。

特に自分が住んでいたところはその考え方が強くて、
会社に対しての裏切り行為をした
罪人のような扱いだったことは間違いない。

だから、辞めるということは、
新しいFM局で最後まで勤め上げるくらいの覚悟で決断したのだ。

給料は下がるのに、仕事量は倍増


とはいえ、給料は下がるのに、やることがめっちゃ増える。

開局当初は、ディレクターをするものが
社長と自分しかいなかった。

社長は営業も兼ねているので、
朝のワイド番組に少しだけ出演した後は、ほぼ会社にいなかった。

つまり自分ひとりで、
朝のワイド番組、昼のワイド番組、夕方のワイド番組の
3本ともずっとディレクター兼ミキサーで
ブースの中に入りっぱなしだった。

途中休憩する時間はあるものの、
はっきり言って今で言うブラック企業的な働き方だ。

でもそうなることがわかった上で入社したので、
大変だったけれど、とにかく楽しかったことを覚えている。

大きな会社
(と言っても地方の放送局なんて大した数の社員はいないが)から比べると、
全スタッフ合わせても10名ほどのちっちゃなFM局は
狭いながらも、本当に居心地のいい場所だった。

ちなみに自分と一緒に、
フリーのアナウンサーだった妻も一緒に辞めてこちらに移った。

新しい局には当然しゃべる人もいないので、
妻だけ人質のように残すのもなんなので、
一緒に連れてきてしまったのだ。

そして元の局で働いていた数人の女子アナも誘って、
とりあえずは開局当初は意外にも華々しくスタートしたのである。 

ところが、あっという間に問題発生

わかってはいたのだけれど、
しばらくすると金銭面でやはり苦しくなってきた。

夫婦で思い切り働いても
月に手取りで25〜6万くらいしかなかったように記憶している。

マンションのローンとかも考えると、
お金が全く足らないのである。

その辛さはジャブのように地味に効いてきて、
夫婦ともに大きなストレスを感じるようになっていくことになる。

 

そして問題発生!

詳しくは書けないが、あることがきっかけで
社長と絶対に修復できない溝ができてしまったのである。

もし我々夫婦が辞めると、
会社自体がほぼ廻らなくなることは確実だったけれど、
どうしても許せないことが起こり、
わずか2年も経たないうちに2人とも辞めることになったのだ。

夫婦ともにいきなり無職に...

次に何か当てがあるわけでもないのに、
どうにも我慢ならずに夫婦でFM局を退社。

それに最初に紹介したように、
地方では他の局にいたものを採用してくれることはありえないので、
もう地元の放送局で働くことはできない。
自業自得だが、もうどうしようもなかった。

それはもちろん妻も同じだ。
結婚式の司会など、放送と関係ない仕事ならいくらでもあるが、
放送でしゃべることは、この地元にいる限りはできなくなってしまった。
いったい我々夫婦はどうなるのか?


ということで、また仕事を探すことになるのだが、

続きは、その9で。


 

 

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