20代の頃からを振り返り、人生を反省する その7
契約社員を辞めて、
新しいコミュニティFMへ
新しいコミュニティFMへ
この話は、下記のブログが始まりの〝続きもの〟です。
読んでいない人は先にお読みいただくと話がよりわかります。
ディレクターという職業が、本当に楽しくて、
自分はこの仕事をするために生まれてきたと感じ始めていた。
最初、この会社に入った時は30過ぎでADからだったが、
その時の社員の目は『いったい何者?』という感じだった。
でも、それをものの3年もしないうちに払拭し、
逆に信頼を勝ち取るまでに至った。
それを一番感じてくれたのは、
アナウンサーやパーソナリティの人たちだった。
とにかく番組が始まったら、
どれだけしゃべり手が自分の話に集中できるか?を考えていた。
ラジオの番組はテレビと違って台本がほとんどない。
あるとしたらスポンサーがらみの部分。
例えば、
ラジオショッピングやゲストを招いて話を聞くコーナーや、
聴取率週間などプレゼント企画がある時などで、
それ以外は台本にはかける曲ぐらいでほぼ何も書いていない。
ちなみに東京などキー局の場合は、
放送作家がついていることが多いので
ある程度の進行台本があるかも知れないが、
タレントさんなどは台本を読んでくれない人もいて、
基本的にはフリートークになることが多いと思われる。
ラジオの打ち合わせというのはレギュラー番組だと、
本当にシンプルに流れをさらっとやるだけということも珍しくない。
NHKのテレビだと、リハーサルを何回もするような番組があるが、
ラジオではリハーサルもほとんどない。
つまりメインパーソナリティの力量がとにかく大切だということ。
その人の喋りがしっかりしていれば
番組はつつがなく進行するし、おもしろくなる。
だからラジオのディレクターの仕事は、
どれだけそんな人たちを楽しく喋らせるかにかかってくるのだ。
曲紹介の時でも、さらっと小ネタを教えて、
さもパーソナリティがもともと知っていたかのようにしたり、
面白いことを言ったらちゃんと笑ってあげたり、
リアクションも大切になる。
ディレクターの中には、
時々番組と関係ない話をサブスタジオのADやミキサーさんとして、
しゃべり手の話を聞かない人もいるが、
それは中でしゃべっている人からすると、
反応が分からないので一番やってはいけないこと。
それにたまには原稿の読み違いもあるだろうし、
間違った認識をしゃべってしまう人だっている。
地方局の新人アナウンサーなんて、
ホントに何にも知らない子がいたりするから
気を張らないといけないのだ。
ラジオはリスナー層の年齢が高めなので、
それこそ昭和の話がわからないと、
???ってことになりかねない。
そんな新人が1人で喋るような番組はあまりないが、
ラジオは生放送が多いので、後から編集することができない。
だから、ディレクターは真剣にパーソナリティの話を聞き、
面白かったら笑う、間違っていたら訂正を入れる、
そして時間のキープもディレクターの仕事だ。
生放送は慣れている人であっても
自分の話に夢中になると、時間を無視してしゃべり続ける人がいる。
台本もざっくりとした時間しか書いていないことがあるので、
話の長い人の時は、ディレクターが気をつけていないと
放送事故を起こすことにもなりかねない。
しゃべりすぎたら次にかける予定だった曲をカットしたり、
メールを読む時間を削ったり、
適当な台本にもかかわらず秒単位の仕事なので
ディレクターの役割は意外と大変なのである。
そんな部分を誰よりも適切にやったことで、
信頼を得たのだと思う。
また元々細かい作業が好きだし、
音楽に関する知識が多かったことも含めて
天職だと思うほど楽しめる仕事だったのだ。
コミュニティFM設立の話を小耳に挟む
コミュニティFMは、都道府県を一つのエリアとするのではなく、
市町村単位で聴けるように放送している
送信出力の小さいFM局だ。
面積の大きい北海道には30局程もあるし、
東京のようにラジオ局が乱立している地域でも10局以上存在する。
現在は全都道府県にあるコミュニティFMだが、
1997年の阪神・淡路大震災の後から、
防災意識を考える地区が増えたことで第3セクターの開局が進んだ。
当時、自分の県にはまだコミュニティFMがなかったのだが、
それを作ろうとする人が現れた。
自分も何度か番組を担当したことがある元局アナだった。
知り合いだったので話を聞きにいくのは簡単だった。
会って話をしてみると、
まだスタッフになる人がほとんど決まっていなかった。
報酬の話も聞いてみたところ正社員採用になるものの、
今の契約社員よりも大きく下回る。
が、放送局の立ち上げに絡めることなんて一生ないと思ったので、
県域局をやめてコミュニティFMに移ることを決めた。
県域局とコミュニティFMはその地域によっていろいろだが、
自分たちの場合は地元にあるFM局も含めて敵対する関係になった。
地方のラジオ局同士で少ないスポンサーを取り合うのだから、
それは無理もない。
何も考えず、そのまま仕事を続けていればいいものを、
あえて自分から茨の道を選んだのである。
当然のように苦境に立たされる結果は、その8に続く。