【プロフィール】

氏名
 河野 禎史(かわの さだふみ)
 号:幼観(ようかん)
生まれ
 昭和48年(1973年)9月16日生(50歳)
出身
 福岡県福岡市出身
 住んだことがある都市は沖縄県那覇市

学歴
 福岡市立高宮小学校
 福岡市立高宮中学校
 福岡県立柏陵高等学校
 私立久留米大学法学部法律学科

職歴
 平成9年福岡県警察に拝命
  主に、地域部の自動車警ら係で職務質問を専門に活動
  薬物事犯の検挙を目指す。
  職務質問で拳銃所持を検挙するのが夢でした。
  パトカーの運転訓練指導員、拳銃の指導員
 平成29年福岡県警察辞職して沖縄県警察へ出向
  (シーサー警ら隊
 平成31年福岡県警察へ復帰 
 令和3年3月31日
  同日付け、警部昇任で退職

現在の活動・役職等
 ・私塾「幼明館」代表
 ・綜學社やまとことば語り部養成協会
   (上席講師・言本師
 ・文明法則氏学研究所史伝師
 ・予備自衛官補・一般(令和6年7月採用)
 ・林英臣政経塾(15期・沖縄講座)
 ・日本国際警察協会会員、福岡県警察警友会会員
 ・防災士
 ・保護司(福岡市城南区)
 ・介護士(介護職員初任者研修・介護福祉士実務者研修)
 ・神社検定2級・秘書検定3級

特技・趣味
 武道
  弓道五段、居合道五段、剣道三段、柔道初段
   ※上地流空手道3級
 革細工
  マニッシュという牛革を使った小物を製作しています。
  糸は草木によって自分で染めたものを使用しています。
【警察官を早期退職】
機動隊の同期から盾を、
所属の係の皆さんから似顔絵や寄せ書きを頂きました。
感謝!


自分を語る


〇福岡県警察拝命(H9.10.3)
大学卒業後、県警の採用試験に合格し、その年の秋には警察学校に入っていました。オウム真理教の事件を受けての警察官の増員のための臨時の採用枠でした。同期はなかなか個性の強い人ばかりでした。
新任配置は小倉北警察署で、新任期間が終わると機動隊に配属され、県外へ多く派遣されて、遠くは成田まで派遣することもありました。
機動隊を除隊した後は、北九州全域を担当する自動車警ら(パトカー勤務)などを9年。福岡市内に戻り、福岡地区全域を担当する自動車警ら勤務を7年。沖縄出向でも自動車警ら勤務を2年。在職中のほとんどがパトカーの勤務でした。パトカー勤務の後半は「職務質問」というものが一つの技能として警察の中で位置づけられるようになり、若い警察官の指導育成という点からも従事しました。
地域警察官は、警察業務の中で一番ホットな事件現場を担当する第一線勤務です。何が起きるのか分からない、分からないからこそ、今でもテレビの密着取材が多く行われ、放映されています。
長く第一線で勤務したおかげで、色々な人と接することがありました。また、社会の負の現状についても見てきましたし、多くの問題もはっきりと見えていました。

〇多趣味が趣味
在職中は、多趣味が趣味と言われるほど、興味があることは多くやりました。
ゴルフ、釣り、ゲーム、マラソン、自転車、バイク、山登り、旅行、神社巡り。物を作るのが好きな方なので、まずは自分で作ろうと道具集めから始めました。
今でも居合道と革細工だけは辞めていません。
これだけのことができたのも、しっかりとした職場があったからであり、その時々でお世話になった先輩・同僚・後輩に感謝です。

​​​​​​〇きっかけは些細。導かれる縁。

沖縄出向中の何気ない一言からです。同僚からYouTubeの歴史番組が面白いと勧められました。CGSという番組の中の小名木善行さんの歴史番組「目から鱗が落ちる日本史」です。
すっかりはまり込んでしまい、すべてのCGSの番組を見ました。それからは番組の司会をしている神谷宗幣とはどんな人物なのかと興味が湧いてきました。
偶然、神谷さんの集まりで皇居の勤労奉仕の募集がありました。もちろん参加しました。
そこで、松下幸之助翁の政経塾の一期生である林英臣先生の政経塾の方と出会いました。同じ福岡から来たという事で意気投合し、そのまま政経塾に入塾することになります。
それからは、林先生、神谷さんとの関わりの中で全国の色々な方と出会う事ができました。


〇答えをくれたCGS
CGSには様々な番組があります。そこで、仕事においての違和感に対する答えを見付けることができました。
大きくは2つ。
一つは、ここ近年になって精神の疾患を患っている人の事案が増えていました。これは肌感覚で統計は知りません。しかし、10代の若者や今までバリバリの一線で働いていた人がうつ病を患い家で暴れているといったような事案によく行きました。
大抵は、現場についた時には落ち着いています。つらいのは周りの家族です。しかし、私達警察官ができることもわずかです。そんな中で必ず出る言葉が「病院には行きましたか?薬は飲んでいますか?」です。側の大量に山積みになった薬袋を見ながら、言葉では言ったものの、こんな薬を飲んで本当に治るのか?今まで治ったなんて現場はほとんど見たことないぞ、治ったと思っても、またいつか繰り返している。そんな風に心の中で思う事が多くありました。
そんな山積みの薬についてもCGSの番組に出ている先生がはっきりと答えを出しています。まさにその通りだと思わざるをえません。

また、犯罪は起こるのではなく、作られることもあるということもはっきりとわかりました。
答えは簡単です。テレビによって人々の心に「負の心」を植え付けることができるのです。模倣犯とは違います。心に植え付けられるのです。
テレビのワイドショーで犯罪を取り挙げると、その犯罪が確実に増えます。断言できます。現場にいましたから。
最近の例だと「あおり運転動画」です。あの動画がテレビで騒がれ、ほとんどの人が認知してくると、同じような事案や犯罪が増えていきました。数倍という数字ではありません。数十倍。数百倍です。
今まで、車のクラクションなんて腹が立つけど気にしない、そこまでの争いにはなっていませんでした。しかし、あの動画が心に焼き付くことによって、相手の車を無理やり停めたり、そして、わざわざ車から降りて文句を言うような行動を起こす人が急増したのです。
本当にびっくりするぐらい、交通トラブルの110番の数が跳ね上がりました。
変な言い方をすれば、テレビは人々の心に何らかなものを植え付け、誘導することができるのです。つまり、大衆はマスコミに操作されやすいという答えです。
ワイドショーだけではありません。私たちは気を付けないと全てにおいてマスコミにコントロールされる側にいます。

世界において最も治安維持に優れた日本の警察でも、この「医療」と「マスコミ」の闇とは戦えません。
もう「政治の力」でしか戦えないと私は判断しました。
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〇天命を知った政経塾
林先生の講座は名前の通り「政治家天命講座」です。まずは、一年を通して自分を見つめ直し、そして自分の役割、使命、そして天命を知る。
まだまだ、自分をしっかりと見つめ直すことができたのかは、疑問が残っていますが、確実に自分がやるべきこと、天命を知ることができたと自分の中では納得しました。「幼学綱要」との出会いも一つです。
自分の天命がはっきりしてくると、行動に移すことは簡単です。そういった行動への勇気を林先生や政経塾の同志の方々から頂きました。

〇これからの活動
幼学綱要に出会い、教育について関わって行きます。林英臣政経塾の三綱領の中の一つに「高徳国家」という言葉があります。私は、この実現に向けて先頭を走っていくつもりです。「高徳」を実現するための教育を行うために自ら「幼明館」という塾を作りました。
今の教育全般の流れについて、私個人が感じていることです。今の学歴本位の教育ではダメだという流れから体験学習に力を入れたり、色々な教育がおこなわれています。しかし、これは、これまでの学歴中心の教育によって、閉ざされていた子供の心を開放する点に主が置かれているのではないかと思っています。
極端な言い方をすれば、ねじ曲がった教育により閉ざされた本来の子供の力を開放する教育。しかし、本来は子供そのものの力を伸ばすのは大前提です。その土台の上に「高徳」になるための人間教育をどうするのか?「高徳」になるための教育をしっかり学ばないと「解放」するだけでは「高徳国家」の建設はできないと考え、幼学綱要を中心とした古典等から「徳」を学ぶための塾を作りました。

もう一つは、やはり社会を変えるには、政治に関わるしかないという事です。まったく興味がなかった世界に飛び込みました。
現在は、参議院議員神谷宗幣さんが作った「参政党」の党員として活動をしています。
参政党では、自分と同じように社会に対して疑問を持っている方が多く集まっています。
これまでの疑問を何の気兼ねなく語ることができる仲間がいるのは心強いです。
そして、社会の問題に対して正面からものが言える政党が政界の一角に必要だと思います。
政治は、自分たちの生活と切り離すことはできません。私たちは一人の有権者としての地位を持っています。もし、関わりたくないとそう思わされているのなら、目覚めなければいけません。
全ての選挙を見てください、国民の半数も参加していない選挙、組織的な票集めによって決定している選挙をいつまで続けるのでしょうか?
確実に社会を変える力を私達、有権者は持っています。それは投票活動しかありません。投票したいと思いたくなる党がなければ自分たちで作ればいいのです。そのような発想で「参政党」はできています。

〇私自身の原点
私自身の活動の原点は、世界に「高徳」を広げることです。なんだかんだと言っても世界では戦争、貧困、略奪、いつまでたっても人類に平和や愛が広がることがありません。

偶然出会った一冊の本ですが、この一冊の本から日本が大切にしていた心、道徳心、これが世界に広がれば少しでも人類の新たな一歩に繋がるのではないかと信じています。
政治活動に参加したのも、単なる政党の拡大を目指したためではありません。自分自身の原点を広げるためには、政治に関わるしかないと感じたからです。
「最初に無いものは最後まで無い」
この一点、「高徳」をいつまでも忘れることなく、今後も活動していきます。