Ordinary days. 

2021/12/02

普通の日こそ、大切に。

人は、変化を好むものでもあります。

とはいえ、いつもジェットコースターのような生活は、
刺激が強すぎて、慣れない時は大変であり、
自分を見失うことになりやすい。

また、その強い刺激に慣れてしまえば、
より強い刺激を求めようとして、
中毒、依存的になってしまう。

そのバランスを取るように、
日常、平凡な日々、普通の日が存在して、
自分の心身を休め、自分を省み、
自分の今を見つめ、今日に取り組んでいるわけですね。

日常や普通の日は、意識しないと、
ルーチンワーク的に、サーッと過ぎてしまいます。

また、休日も意識して無ければ、
身体が欲する休養になってしまいます。
この休養も必要で大切なことなのですけどね。

このように、淡々と過ぎた普通の日も、
きちんと意味があって、生きた日なのです。

 

最適化された日常の瞬間、ととのう感じ。


今日は、この為に生きた。

という瞬間。

全てが整った機会というギフト。

それは、偶然のようで、必然。

と言った体験を普通の日にすることができました。

これに気づいた時は、気持ちの高揚落胆と言った、
非日常の体験と同じくらいのインパクトがあったものです。


その日は、こんな感じでした。

サロンでのセッションを前日に行っていて、
今日は、お休みの日でした。

眠気も残っていて、身体もしゃっきりしてなかったです。
でも、夕方からの用事があるので、
何とか、しないとな。と思っていました。

ある日、テレビの音楽番組で、
milet さんの「Ordinary days」を聴いて、
なかなかこみ上げるものがあると思いました。

テレビの前に座り、CSの音楽番組が映った時に、
ちょうどmilet さんのLIVE特番が放送されていました。

途中から観たので、「Ordinary days」は、
終わっちゃったか。

という感じで、用事の連絡を待っていました。

アンコールの時に、「Ordinary days」が歌われました。

歌が終わってから、すぐ、用事の連絡の電話がかかる。

という、本当なら、いろいろできたはずの日常なのに、
今日は、この「Ordinary days」をしっかり聴く為に、
いろんな邪魔も起らず、集中して聴ける環境が整っていた。

と言えますね。

ああ、そうか!

と気づいた時の感動も大きくは無くても、
非日常の感動にも似たインパクトがありました。

今日は、この為に生きたという瞬間に気づく。

最適化された全てが整った機会というギフト。

偶然ではなく、必然。

このような気づきが得られるように、
なみのりふね名古屋いまいけのセッションがあります。

お気軽に、お問い合わせください。

なみのりふね名古屋いまいけ
施設長 森