アニマルスピリッツ

2022/01/03

少年よ、動物的野心を抱け!


結局、学校も社会も世の中は、競争から逃れられない。

日本は、和をもって貴しとなすという文化がある。

この和の実現をするにしても、
はじめから落としどころを見つけることはできない。

お互いに、意見を主張し合い、
対立し、利益を求め、競争し、
その最終的な段階で、利害の調整として、
和解し、共同、共生に向かって、協力して行くのである。

どこからか、学校で、対立を許さず、
競争も戦闘も許さず、臭いものにフタをしながら、
上が決めたことに淡々と従って生きるという術を
刷り込まれたようだ。

この戦いでなく、競争の上勝ち取る和解でもなく、
どこからか現われる上の人の裁定に従う和解で、
自分の主張をねじ曲げられ、我慢するという、
流れが正しく、当たり前に思うようになっていた。

これは、GHQのWGIPという洗脳プログラムから、
導かれる思考体系なのだから仕方がない。
このことに気づき、異論を唱える教師は、
自分が児童、生徒の時はいなかった。

教師という権力で、裁定し制圧し、
納得しずらい和解内容を受け入れて、
行動するしかなかった。

そんなことを繰り返していて、
競争は悪となり、競争を避ける事ばかり考え、
競争を避けていたとも言える。

戦わねばならない時に、戦わずに逃げる。
そのほうが、戦って負けて、ボロクソに批判されるより、
戦わずに逃げるほうが、批判も無く、より賞賛されるからだ。

競争を避け、競合がいない市場で、ビジネスをする
ブルーオーシャン戦略が優位になり、
賞賛され、そのブルーオーシャンを探すことが、
結局、競争を招くという、支離滅裂なこともある。


そうやって、日本の国内では、
競争をすることが暗黙の了解的に、禁止されていて、
出来なくなっている。

だから、談合もあるし、事前協議もある。

公共事業、民間の事業に関わらず、
談合もカルテルも公正取引ではないから、
批判され、罪となる行為ではあるけれど、
競争を是とせず、競争を肯定せず、否定ばかりでは、
談合やカルテルが、正しく、
社会として受け入れられやすく、正義ともいえる。

そんな話は、おかしいのである。

日本以外の欧米系、大陸系、外国は、
競争が当たり前である。
競争がもたらす経済の発展を求めている。

だから、競争をさせない、競争のメリットが取れない、
談合やカルテルは、罪であり、批判されるべきものである。

欧米のルールで、日本人の行為を罰するのはおかしいし、
欧米のルールで日本人、日本国内の競争を否定するなら、
談合やカルテルを罪とはせず、賞賛されるべきものと、
扱わなければならない。

間違いが、また新しい間違いを生む。

要は、日本人が日本国内であっても、
対立して良いし、
競争して良いのである。

それは、どうしてか。

結局、日本人は、洗脳されているとはいえ、
去勢された人ではなく、
一人の人間として、動物的本能を持つ。

皆いい人の仮面をかぶりながら、
自分の中の動物的本能を飼いならしながら、
生きているのが、世間の大人である。

世間の子供は、自分の中の動物的本能を飼いならせず、
動物的本能のままに突っ走り、
動物的本能のままに、競争をして、
相手を食い散らかす。

ある意味いじめは、
動物的本能の攻撃性をてなづけられず、
競争や対立を恐れ、立ち向かおうとしない、
やさしい人に向かって行われる、
動物的本能のカタルシスでしかない。

受けるいじめられる側は、それをやめるように言えない。
それは、恐れる対立であり、競争をしなければならないから、
その苦痛と比較衡量すれば、不本意ながら、
いじめられることを選んでいるとも言える。

こんなことでは、いじめられる側の解決する手段が、
奪われているので、死ぬまでいじめられることになり、
絶望して、不登校になったり、
最悪、自ら命を絶つことも出てくる。

それでは、ダメなのである。

現実を受け止め、逃げず、立ち向かう。

対立を恐れず、競争に勝つ。

だからこそ、
いじめや不登校で悩んでいる児童や生徒に言う。

少年よ、動物的野心を持て!

対立を恐れず、競争に立ち向かえ。

そしてその戦った経験、戦った戦果は、
必ず、自分の自信になっていく。

よく言う、

「自分が欲しいものは、自分の手でつかみ取れ」

その実践のために。

アニマルスピリッツ、動物的野心で、
行動し、歩みを進めていくのである。

このように、
なみのりふね名古屋いまいけでは、
いろいろな洗脳や価値観による思い込み、
メンタルブロックを外し、
あなた自身の本領を全力で発揮することを応援しています。

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なみのりふね名古屋いまいけ
施設長 森