助けを求めること。
2022/12/10
自分一人で解決できないことは、
素直に、助けを求めればいい。
素直に、助けを求めればいい。
助けを求めること。
なかなか、自分でもハードルが高く感じることがあります。
でも、助けを求めることは、
昔からしていたのですが、
いつからか、一人で取り組むようになりました。
そして、なかなか助けを求めることができない自分、
というのに気づき、それについて、数日考えてみました。
それについて、シェアをしたいと思います。
赤ちゃんの時は、何もできませんから、
泣けば、親や家族が、何かをしてくれました。
3歳くらいになると、
泣いても親や家族は、
何もしてくれないことが増えました。
幼稚園では、
幼稚園の先生からも自分でするように言われ、
甘えることに厳しく、叱られることが多かったです。
助けを求めることは甘えで、許されなかったと言えます。
危険な事や幼稚園内のトラブルについては、
先生達は、率先して動いていたと思います。
小学校も同じか、より厳しくなっていった。
中学校、高校、大学は、自分でやれでした。
共同作業というものもありましたが、
やる人間だけ搾取されて、
つまらない気分にさせられてたのがあります。
社会人、成人となってからは、
自立と依存の話や、甘えに関することも厳しくなってました。
自分でやったほうが早い、
人に頼むのは、自分の能力が無いことを認めたことになる、
甘えが出ている、恥だと思う、罪悪感を感じる、
助かった成果を奪われる、人が信じられない、
誰かにバカにされる、未熟者と思われるなど、
いろんな信念やメンタルブロックがありました。
学生までの時期だと、助け合いをする、
とする時、行動のやりとりが生じるのですが、
なかなか見合ったやりとりにならなかったり、
与えるばかり、受け取るばかり、
お金のやりとりになると友人の概念や定義に反する
といった考えも出てきて、
無償奉仕が当たり前になってた部分がありますね。
これは、保護者に生活の面倒を見てもらってるからこそ
できることだとも言えます。
社会人になり、
ビジネスで自分の生活を成り立たせるとなると
なかなか友人の関係でも無償の奉仕は難しくなるものです。
事件、事故、緊急事態、救急といった話は、
一般人に対処させるとロクなことにならないので、
警察や消防が代わりにして、事態の収拾を図り、
その対価は、税金で賄われているのです。
タダのようで、実際には、莫大な費用が掛かっていて、
それが請求されないだけなのです。
事件、事故、緊急事態、救急というほどではなくても、
悩みや問題が出てくることがありますね。
そういう時は、その道の専門家がいるのです。
彼らに、助けをもとめることが、解決が早いことが多いです。
コンサルタント、コーチ、カウンセラーもそうですね。
助けてもらったら、その分のやり取りをする。
何かの行動では、足りないことが多いし、
その行動を免除する代わりに、
金銭の対価を支払うわけですね。
社会人は、金銭の対価を支払える能力があるからこそ、
学生の時とは違い、助けを求めやすくなっていると言えます。
金銭の対価を支払える能力がないならないなりに、
行政による救済や対応もあります。
子供は、そうはいかないです。
頼みの綱の学校の先生や親が機能しないと、
それだけですぐに絶望の底に落ちるしかないです。
最近では、学生の年齢でも、その危険が大きくあります。
ネットやSNSがある分、
助けを求めやすくなってはいますが、
一時の気の迷いで出会った人がハズレな時に、
命を落とす事件が相次いでいますね。
名古屋でも、また、その事件が起こってしまいました。
私は、本当に悩んで、問題を抱えていて、
どうしようもない人を救いたいと思い、
なみのりふね名古屋いまいけという
カウンセリングサロンで、カウンセリングを提供しています。
よくわからない土地に行って、
よくわからない人に会い、
本当は死にたくないのに、
自殺を助けられ、殺されてしまう。
そんなことがあるたびに、
私たち、カウンセラーの存在意義も厳しく問われている
とも言えます。
私は、言います。
私も、自分でどうにもならない時は、助けを求めています。
実際に、たくさんの先生、専門家の方に、
助けてもらって、今があります。
あなたも素直に、助けを求めてください。
よくわからない土地に行き、
よくわからない人に会うことになると思います。
けれど、今は苦しくても、生き延びて、
いつかは、生きてて良かったと思える日が来るなら。
あなたは、どこに助けを求めますか?
私は、あなたからの連絡を待っています。
なみのりふね名古屋いまいけに、
ご連絡ください。
なみのりふね名古屋いまいけ
施設長 森
なかなか、自分でもハードルが高く感じることがあります。
でも、助けを求めることは、
昔からしていたのですが、
いつからか、一人で取り組むようになりました。
そして、なかなか助けを求めることができない自分、
というのに気づき、それについて、数日考えてみました。
それについて、シェアをしたいと思います。
赤ちゃんの時は、何もできませんから、
泣けば、親や家族が、何かをしてくれました。
3歳くらいになると、
泣いても親や家族は、
何もしてくれないことが増えました。
幼稚園では、
幼稚園の先生からも自分でするように言われ、
甘えることに厳しく、叱られることが多かったです。
助けを求めることは甘えで、許されなかったと言えます。
危険な事や幼稚園内のトラブルについては、
先生達は、率先して動いていたと思います。
小学校も同じか、より厳しくなっていった。
中学校、高校、大学は、自分でやれでした。
共同作業というものもありましたが、
やる人間だけ搾取されて、
つまらない気分にさせられてたのがあります。
社会人、成人となってからは、
自立と依存の話や、甘えに関することも厳しくなってました。
自分でやったほうが早い、
人に頼むのは、自分の能力が無いことを認めたことになる、
甘えが出ている、恥だと思う、罪悪感を感じる、
助かった成果を奪われる、人が信じられない、
誰かにバカにされる、未熟者と思われるなど、
いろんな信念やメンタルブロックがありました。
学生までの時期だと、助け合いをする、
とする時、行動のやりとりが生じるのですが、
なかなか見合ったやりとりにならなかったり、
与えるばかり、受け取るばかり、
お金のやりとりになると友人の概念や定義に反する
といった考えも出てきて、
無償奉仕が当たり前になってた部分がありますね。
これは、保護者に生活の面倒を見てもらってるからこそ
できることだとも言えます。
社会人になり、
ビジネスで自分の生活を成り立たせるとなると
なかなか友人の関係でも無償の奉仕は難しくなるものです。
事件、事故、緊急事態、救急といった話は、
一般人に対処させるとロクなことにならないので、
警察や消防が代わりにして、事態の収拾を図り、
その対価は、税金で賄われているのです。
タダのようで、実際には、莫大な費用が掛かっていて、
それが請求されないだけなのです。
事件、事故、緊急事態、救急というほどではなくても、
悩みや問題が出てくることがありますね。
そういう時は、その道の専門家がいるのです。
彼らに、助けをもとめることが、解決が早いことが多いです。
コンサルタント、コーチ、カウンセラーもそうですね。
助けてもらったら、その分のやり取りをする。
何かの行動では、足りないことが多いし、
その行動を免除する代わりに、
金銭の対価を支払うわけですね。
社会人は、金銭の対価を支払える能力があるからこそ、
学生の時とは違い、助けを求めやすくなっていると言えます。
金銭の対価を支払える能力がないならないなりに、
行政による救済や対応もあります。
子供は、そうはいかないです。
頼みの綱の学校の先生や親が機能しないと、
それだけですぐに絶望の底に落ちるしかないです。
最近では、学生の年齢でも、その危険が大きくあります。
ネットやSNSがある分、
助けを求めやすくなってはいますが、
一時の気の迷いで出会った人がハズレな時に、
命を落とす事件が相次いでいますね。
名古屋でも、また、その事件が起こってしまいました。
私は、本当に悩んで、問題を抱えていて、
どうしようもない人を救いたいと思い、
なみのりふね名古屋いまいけという
カウンセリングサロンで、カウンセリングを提供しています。
よくわからない土地に行って、
よくわからない人に会い、
本当は死にたくないのに、
自殺を助けられ、殺されてしまう。
そんなことがあるたびに、
私たち、カウンセラーの存在意義も厳しく問われている
とも言えます。
私は、言います。
私も、自分でどうにもならない時は、助けを求めています。
実際に、たくさんの先生、専門家の方に、
助けてもらって、今があります。
あなたも素直に、助けを求めてください。
よくわからない土地に行き、
よくわからない人に会うことになると思います。
けれど、今は苦しくても、生き延びて、
いつかは、生きてて良かったと思える日が来るなら。
あなたは、どこに助けを求めますか?
私は、あなたからの連絡を待っています。
なみのりふね名古屋いまいけに、
ご連絡ください。
なみのりふね名古屋いまいけ
施設長 森