どれだけの時が流れても、 永遠に過去形にならない I LOVE YOU
それは、“中今”を歌っているのだろうか
「どれだけの時が流れても
永遠に過去形にならない I LOVE YOU」
Omoinotake『幾億光年』の
最後に流れるこの言葉を聴いた時、
ただの恋愛の余韻ではなく、
もっと深い“時間感覚”を感じた。
これはもしかすると、
ずっと「中今(なかいま)」を歌っているのではないか。
そんなことを思った。
中今。
神道や精神世界で語られる言葉で、
「過去でも未来でもない、永遠に続く“今”」
を意味する。
普通、人は時間を、
過去 → 現在 → 未来
と流れていくものとして捉えている。
でも本当に大切な想いというのは、
過去にならないことがある。
別れても。
離れても。
何年経っても。
ふとした瞬間に、
“今”として蘇る。
『幾億光年』の世界観には、
そんな時間を超えた感覚が流れている気がする。
春。
出会い。
まだ何も知らない二人が、
偶然のように巡り会う。
桜の風景のように、
どこか始まりの匂いがする。
夏。
思い出。
強い光の中で、
一緒に笑い、
同じ景色を見て、
心の距離が近づいていく。
夏の時間は、
永遠に続くようでいて、
実は一瞬だ。
秋。
別れ。
季節が変わるように、
人の関係も変わっていく。
環境。
価値観。
進む道。
そしてまた、新しい出会いもある。
でも不思議なのは、
本当に深く愛した相手ほど、
離れてからも心に残り続けること。
冬。
ぬくもり。
寒さの中で、
人は誰かの存在の温かさを知る。
もう隣にいなくても、
思い出の中に、
確かにそのぬくもりが残っている。
そして最後に流れる、
「どれだけの時が流れても
永遠に過去形にならない I LOVE YOU」
という言葉。
これは、
「忘れられない恋」
というだけではなく、
“時間を超えて存在している愛”
を歌っているようにも感じる。
スピリチュアルな視点では、
魂の縁は、
時間や距離を超えると言われることがある。
今世だけではなく、
もっと前から続いている関係。
だからこそ、
初めて会った気がしない。
懐かしい。
離れても、どこかでつながっている感覚がある。
では、
どれだけのスピードで追いかけたら、
時と距離を超えて、
また出会えるのだろう。
宇宙では、
遠い星の光が、
何億年もの時間を超えて届く。
今見えている星の光は、
実は“過去”の光かもしれない。
でも人の想いは、
もしかすると逆なのかもしれない。
過去ではなく、
ずっと“今”に存在し続けている。
それが、中今。
春夏秋冬を巡りながら、
出会いと別れを繰り返しながら、
魂はまた、
必要なタイミングで巡り合う。
だから、
本当に大切な人への想いは、
過去形にならない。
「愛していた」ではなく、
「今も、愛している」
それは執着ではなく、
時間を超えてなお存在する、
魂の記憶なのかもしれない。
なみのりふね名古屋いまいけ
主宰 森